皇居になぜ「楠木正成」なのか。銅像が背負う住友家の「贖罪」と、明治政府への起死回生の忠義

教養・カルチャー

「皇居の広場に、なぜあんなに厳つい武将の像があるんだろう?」

皇居外苑を散歩したり、ニュース映像で見たりしたとき、あの躍動感あふれる騎馬像に目を奪われたことはありませんか? 「有名な侍なんだろうけど、詳しくは知らない」 「なんで皇居の正面に、徳川家康でも明治天皇でもなく、彼なのか?」

そんな疑問を抱いたことがある方は、きっと多いはずです。 私が初めてあの像をまじまじと見たとき、その圧倒的な迫力と、どこか悲壮感すら漂う表情に釘付けになりました。 実は、あの像がそこに立っているのには、単なる「歴史上の有名人だから」という以上の、深く、そして熱い理由があるのです。

この記事では、皇居外苑のシンボル「楠木正成像」がなぜあそこに建立されたのか、その歴史的背景と、制作に関わった人々のドラマについて深掘りします。 読み終わる頃には、あの銅像がただの金属の塊ではなく、日本の精神性を象徴する熱いメッセージに見えてくるはずです。

「日本一の忠臣」楠木正成とは何者か?

まず、彼が何をした人物なのかをおさらいしましょう。 楠木正成(くすのき まさしげ)。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将です。 彼は、歴史の授業で「建武の新政」に関わる人物として習ったかもしれませんが、最大の特徴はその「忠義」にあります。

圧倒的不利でも天皇を守り抜いた「軍神」

当時、武士政権(鎌倉幕府)が力を持ち、天皇の権威が揺らいでいました。そんな中、後醍醐天皇の「倒幕」の呼びかけにいち早く応じ、幕府軍と戦ったのが楠木正成です。 彼は「千早城の戦い」などで、少数精鋭で大軍を翻弄するゲリラ戦法の天才としても知られています。

しかし、彼の真価が問われたのは、その後の「湊川(みなとがわ)の戦い」です。 足利尊氏の裏切りにより、圧倒的不利な状況に追い込まれた後醍醐天皇。 誰もが「負け戦」だとわかっている中で、正成は天皇への忠誠を貫き、死を覚悟して戦場へ向かいました。 そして、「七生報国(七回生まれ変わっても国=天皇のために尽くす)」という言葉を残し、壮絶な最期を遂げたとされています。

なぜ「皇居」なのか?

明治時代になり、天皇中心の国づくりが進められる中で、「天皇に対して絶対的な忠誠を誓った象徴」として、楠木正成が再評価されました。 皇居は天皇のお住まいです。 その皇居(当時は宮城)外苑の一角に彼を置くことは、「皇居を、そして天皇を永遠に守護する」という強いメッセージが込められているのです。 彼が手綱を引き、皇居の方角を向いているのは、決して偶然ではありません。拝礼し、守っている姿なのです。

銅像建立の裏にある「住友家」のドラマ

この立派な銅像、実は国が作ったものではありません。 住友グループ(住友家)からの寄贈だということをご存知でしょうか?

別子銅山の「贖罪」と「感謝」

住友家は江戸時代、別子銅山の経営で財を成しました。 しかし、明治維新の動乱期、住友は旧幕府側との関係が深く、新政府から目をつけられかねない危うい立場にありました。 また、銅山経営における環境問題などの課題も抱えていました。

そこで、明治33年(1900年)。 別子銅山開坑200年を記念して、住友家は「国への忠誠」と「社会への感謝」を示すために、銅像の献納を申し出たのです。 材料はもちろん、別子銅山の銅です。 「日本一の忠臣」である楠木正成の像を、自社の銅で作って皇居に捧げる。 これは、住友家にとっての「起死回生」かつ「最大の忠誠アピール」であり、企業としての矜持を示した一大プロジェクトだったのです。

芸術作品としての「凄み」に注目せよ

歴史的背景もさることながら、この像は「芸術作品」としても超一級品です。 制作にかかった期間はなんと10年。 当時の日本の美術界のトップたちが集結して作られました。

「高村光雲」らが手掛けた最高傑作

像の頭部は、あの上野の西郷隆盛像を作った高村光雲(詩人・高村光太郎の父)が担当しました。 そして、体や甲冑は後藤貞行(上野の西郷さんの連れている犬を作った人)らが担当。

特に注目してほしいのが、「馬のバランス」です。 実はこの馬、脚を上げて動きのあるポーズをしていますが、その重心のバランスをとるために、尻尾の内部に大量の銅を詰めて調整していると言われています。 静止しているのに、今にも動き出しそうな躍動感。 そして、正成公の顔を見てください。 厳しい戦況を見つめるような、凛々しくも少し険しい表情。 これは、単なる英雄の肖像ではなく、「信念を貫く人間の苦悩と覚悟」まで表現されているように見えます。

東京の「三大銅像」の一つ(他は上野の西郷隆盛、靖国神社の大村益次郎)に数えられるのも納得の、圧倒的なクオリティなのです。

現代の私たちが「正成」から学べること

「忠義」なんて言葉、今の時代には古臭いと感じるかもしれません。 会社に尽くしても捨てられる時代ですし、天皇崇拝を強制されるわけでもありません。 しかし、楠木正成の生き方には、現代のビジネスパーソンやフリーランスにも通じる「軸」があります。

「負け戦」でも逃げない美学

彼は、勝てない戦いだとわかっていても、自分の信義(天皇への約束)を裏切りませんでした。 損得勘定だけで動くなら、さっさと足利尊氏側に寝返ったほうが賢かったはずです。 しかし、彼はそれをしなかった。

現代において、これは「自分の美学や信念を貫けるか」という問いに置き換えられます。 「楽な方へ流されるか、困難でも自分が正しいと思う道を選ぶか」 「目先の利益を取るか、長期的な信頼を取るか」

皇居外苑に立つ彼は、私たちにこう問いかけている気がします。 「お前には、命をかけても守りたい『信念』があるか?」と。

あの銅像は、日本の「精神的支柱」である

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。 皇居外苑の楠木正成像。 それは、単なる観光スポットの飾りではありません。

  • 後醍醐天皇への「忠誠」の証
  • 住友家の「覚悟」の結晶
  • 明治の芸術家たちの「魂」の作品

これら全ての想いが、あの数トンの銅の塊に凝縮されています。

もし次に皇居近くに行く機会があれば、ぜひ立ち止まって見上げてみてください。 ただ写真を撮るだけでなく、彼が向いている視線の先(皇居)を確認し、その表情の奥にある物語に思いを馳せてみてください。

きっと、明日からの仕事や生き方に、少しだけ背筋が伸びるような「強さ」をもらえるはずです。 時代が変わっても、誰かのために筋を通す男の姿は、やっぱりかっこいいものですから。

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