「フォロワー1万人、副業月収50万。この数字を見ても、あなたは幸せですか?」
SNSを開けば、毎日のように流れてくる「成功報告」。 「開始3ヶ月でフォロワー1万人達成!」 「副業で本業の収入を超えました!」 キラキラした数字を見るたび、画面をスクロールする親指が重くなる。 「あぁ、この人は勝ち組だな」と思うと同時に、「それに比べて私は…」と、得体の知れない敗北感が胸に広がる。 私が副業を始めた当初、いちばん苦しんだのが、この「数字による格付け地獄」でした。 目標を達成しても、上には上がいる。 いつまで経っても「勝った」気がしない。 もし今、あなたが他人の数字に圧倒され、「自分は負け組なんじゃないか」と不安を感じているなら、一度立ち止まってみてください。 その「勝ち負け」の基準は、一体誰が決めたものでしょうか? この記事では、現代社会が植え付けた「勝ち組・負け組」の境界線を疑い、あなたが心から納得できる「幸せの座標」を見つけるためのヒントをお伝えします。
数字という名の「終わりのないマラソン」
まず、私たちが無意識に信じ込んでいる「勝ち組」の定義について考えてみましょう。 一般的には、以下のような要素が挙げられます。
- 高年収(または高い副業収入)
- SNSでの影響力(フォロワー数)
- 有名企業への所属や高い社会的地位
これらはすべて、「数字」で計測できるものです。 数字は分かりやすい。 だからこそ、私たちはそれを「成功の指標」にしてしまいがちです。 しかし、数字をゴールに設定した瞬間、あなたは「終わりのないマラソン」に参加することになります。
上を見上げればキリがない
月収30万円稼げたら、次は50万円稼いでいる人が羨ましくなる。 50万円稼げたら、100万円稼いでいる人が「真の勝ち組」に見える。 フォロワーが1000人になれば、1万人のインフルエンサーが眩しく見える。
数字による「勝ち」は、一時的な興奮剤に過ぎません。 効果が切れれば、もっと強い刺激(より大きな数字)が必要になるだけです。
このレースに参加している限り、心からの安らぎは一生訪れません。 なぜなら、世界には必ず「自分より数字を持っている人」が存在するからです。 数字で勝とうとすることは、自ら「永続的な敗北」を選んでいるのと同義なのかもしれません。
年収1000万でも「負け組」と感じる理由
ここで、少し視点を変えてみましょう。 世間的には「勝ち組」とされるスペックを持ちながら、本人が「自分は負け組だ」と感じているケースは驚くほど多いのです。
例えば、私の知人に年収1000万円を超えるエリート会社員がいます。 誰もが羨む生活をしているように見えますが、彼はいつも疲れた顔でこう言います。 「毎日終電まで働いて、休日も仕事の連絡が来る。家族との時間はゼロ。俺の人生、何なんだろうな」
犠牲にしている「代償」は見えない
SNSや数字の裏側には、必ず「代償」があります。
- 睡眠時間を削って体を壊しているかもしれない。
- 友人との関係が希薄になっているかもしれない。
- 常に批判にさらされ、メンタルを病んでいるかもしれない。
数字という「表面的な勝ち」を得るために、健康や人間関係という「本質的な資産」を失っているとしたら。 果たしてそれは、本当に「勝ち組」と呼べるのでしょうか? 境界線は、数字の多寡(たか)ではなく、「その生活に本人が納得しているかどうか」にあるはずです。
勝ち組と負け組の境界線は「主導権」にある
では、真の境界線はどこにあるのか。 私はこう定義しています。
自分の人生の「主導権」を、自分で握っているか。 それとも、他人の評価や数字に握らせているか。
これが、唯一にして最大の境界線です。
他人にハンドルを握らせている「負け組」
どれだけ稼いでいても、フォロワーが多くても、「もっと稼がないと認められない」「フォロワーが減るのが怖い」と怯えているなら、その人は人生の主導権を「数字(他人の評価)」に奪われています。 アクセルを踏んでいるのは自分ではなく、世間の常識やアルゴリズムです。 これは、精神的には「負け(隷属)」の状態と言えるでしょう。
自分でハンドルを握る「勝ち組」
逆に、年収が平均的でも、フォロワーが少なくても、「私はこの生活が好きだ」「この仕事にやりがいを感じている」と胸を張って言えるなら。 その人は、自分の人生を自分でコントロールしています。 「今日は休もう」「ここは頑張ろう」と、自分の意志でアクセルとブレーキを踏み分けられる。 この「自己決定感」こそが、幸福度を高める最大の要因であり、真の「勝ち」なのです。
あなただけの「勝利条件」を定義する
ゲームにはそれぞれ「勝利条件」があります。 マリオならピーチ姫を助けること、将棋なら王将を取ること。 人生というゲームの面白いところは、この「勝利条件」を自分で設定できるという点です。
それなのに、多くの人が世間が設定した「お金持ちになること」「有名になること」というデフォルトの勝利条件を、疑いもせずに採用してしまっています。 これでは、自分のゲームをしているようで、実は「世間というゲームマスター」の手のひらで踊らされているだけです。
「幸せの因数分解」をしてみよう
一度、ノートを開いて、あなたにとっての「勝ち(幸せ)」を分解してみてください。
- 収入: 大金持ちじゃなくても、毎月好きな本が買えて、たまに旅行に行けるくらいあればいい?
- 仕事: 有名企業じゃなくても、「ありがとう」と直接言われる仕事なら満足?
- 時間: 出世よりも、毎日18時に帰って家族とご飯を食べる時間が大切?
書き出してみると、意外と「あれ、今のままでも結構『勝ち』に近いんじゃない?」と気づくかもしれません。 あるいは、「フォロワー数なんてどうでもよくて、本当は数人の濃いファンと交流したかったんだ」と気づくかもしれません。
あなたの勝利条件は、あなたにしか決められません。 他人のスコアボードを覗き見して、一喜一憂するのはもうやめましょう。
「足るを知る」は、最強の攻撃力になる
「足るを知る」という言葉は、しばしば「諦め」や「妥協」のように捉えられがちです。 しかし、現代の情報過多社会において、これは最強の防具であり、武器になります。
「私はこれで十分だ」 そう腹の底から思えた瞬間、あなたは「無限の競争」から降りることができます。 誰がどれだけ稼ごうと、誰がどれだけバズろうと、「へえ、すごいね。でも私は私の生活が最高だから」と笑っていられる。 この「揺るがない自信」こそが、何者にも負けない強さです。
競争から降りた人から、勝っていく
皮肉なことに、数字への執着を手放し、自分が心から楽しいと思える発信や仕事をしている人の方が、結果的に人やお金を惹きつけることがあります。 悲壮感漂う必死さが消え、楽しそうなオーラが出るからです。 「勝ちたい」と思っているうちは勝てない。 「勝っても負けても、どっちでも幸せ」と思えた時、あなたは本当の意味で人生に勝っているのです。
結論:あなたが笑えば、それが「勝ち」だ
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。 「勝ち組・負け組」 そんな言葉自体が、誰かが商品を売るために、あるいは大衆を煽るために作った、実体のない幽霊のようなものです。
副業で〇〇万円稼ぐことも、フォロワー〇〇万人を目指すことも、それ自体は素晴らしい目標です。 ただ、それが「他人を見返すため」や「不安を埋めるため」の手段になっているなら、一度立ち止まってください。
境界線は、銀行口座の残高にも、SNSのプロフィール欄にもありません。 それは、あなたの心の中にあります。
今日、ご飯が美味しかった。 空が青くて気持ちよかった。 家族や友人と笑い合えた。 「ああ、いい一日だったな」と布団に入れた。
もしそう感じられたなら、その瞬間、あなたは間違いなく世界一の「勝ち組」です。 誰かの物差しではなく、自分の物差しを大切に磨いていきましょう。 そうすれば、どんな時代でも、どんな状況でも、あなたは「自分」という最強の味方と共に、堂々と歩いていけるはずです。


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