「私なんて迷惑かも」は脳のバグだった?生きづらさの正体「認知の歪み」を勉強してみた

人間関係

なぜか「申し訳ない」気持ちで生きている

ふとした瞬間に、こんな不安に襲われることはありませんか?

  • 「私なんかが話しかけたら、好かれないんじゃないか」
  • 「人と仲良くしようとすると、相手は迷惑なんじゃないか」
  • 「結局、自分が何をしたいのか分からなくなる」

私は最近、ずっとこのモヤモヤの中にいました。 誰かに何か言われたわけでもないのに、勝手に「嫌われているかも」と想像して、勝手に距離を置いてしまう。

「性格がネガティブだから仕方ない」と諦めていたのですが、心理学の勉強をしていて、これが「認知の歪み(コグニティブ・ディストーション)」という”思考の癖(脳のバグ)”であることを知りました。

今日は、私の実体験をこの「認知の歪み」というフィルターを通して分析し、客観的に解剖してみたいと思います。

1. 「心の読みすぎ(Mind Reading)」の罠

「仲良くするのが迷惑なんじゃないか」 「私なんて好かれない」

これは、典型的な「心の読みすぎ」という歪みだそうです。 十分な根拠もないのに、相手の心の中を勝手に推測して、「きっと私のことを悪く思っているに違いない」と断定してしまう癖です。

冷静に考えれば、私はエスパーではありません。 相手が「迷惑だ」と言ったわけでもないのに、勝手に相手の気持ちを捏造して、勝手に傷ついていたのです。

【対策】 「事実は何か?」と自問する。 事実は「相手は普通に挨拶してくれた」「LINEの返信は来た」だけ。それ以上のネガティブな意味付けは、私の脳が作り出した幻影だと気づくことから始めます。

2. 「レッテル貼り(Labeling)」の罠

「私なんて…」という言葉。 これは、自分という人間に「ダメな人間」「愛されない人間」というネガティブな「レッテル(ラベル)」を貼ってしまっている状態です。

一度このラベルを貼ると、たとえ褒められたとしても「お世辞だろう」「まぐれだろう」と弾いてしまい(マイナス化思考)、自分のラベルに合う「ダメな証拠」ばかりを集めるようになります。

これでは、何をしたいのか分からなくなるのも当然です。「ダメな自分」が何かを望むこと自体、許されないと感じてしまうからです。

【対策】 「私」という主語を大きくしすぎない。 「私はダメだ」ではなく、「私は今日、少し疲れているだけ」「この作業が苦手なだけ」と、限定的な事実に書き換えます。

3. 「何をしたいか分からない」は「白黒思考」かも?

「何か立派なことをしなきゃ」「正解を選ばなきゃ」と思いすぎていませんか? 物事を「成功か失敗か」「完璧か無価値か」の二択でしか考えられない「白黒思考(All-or-nothing Thinking)」に陥ると、少しでも不安要素があると動けなくなります。

「人に好かれなきゃ(100点)、そうでなければ嫌われている(0点)」 こんな極端な世界に住んでいたら、誰だって怖くて動けなくなります。

【対策】 世の中のほとんどはグレーゾーンです。 「大っ嫌い」の反対は「大好き」ではなく、「どちらでもない(普通)」です。 「特別好かれなくてもいいから、とりあえず挨拶だけする関係」くらいの、中途半端なグレーを自分に許すことが、楽になる第一歩でした。

性格ではなく「思考の癖」だと知るだけでいい

今回、自分の悩みを「認知の歪み」という型に当てはめてみて、少しホッとしました。

私が悪いわけでも、相手が冷たいわけでもなく、「脳が勝手にネガティブな翻訳をしていただけ」だったからです。

もし、私と同じように「私なんて」と思ってしまう方がいたら、それはあなたの性格のせいではありません。ただ、脳のレンズが少し曇っている(歪んでいる)だけかもしれません。

「あ、今『心の読みすぎ』発動してるな」 そう気づくだけで、その不安は少しずつ小さくなっていきます。私はそうやって、少しずつ自分を許す練習をしています。

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